lost・クラムチャウダー



雪が静かな音を立てて降り注ぎ街を白く染めた。雪の隙間から漏れた街のざわめきが、いつもなら静かな通りになる時間帯をすぎても活気よく続き、行き交う人間も減る兆しをみせなかった。アーミーはその中を猫を抱いて一人立ちつくしていた。
「なんか人が多い。」
布地のスニーカーと薄地のハイネック。温もりは腹の柔らかい生き物の体温だけで、雪降りしきる冬の夜の冷たさを耐えた。ふと見上げるとユニークな形をした小さな時計塔は雪にまみれ顔を半分だけ出し、もう夕方も過ぎる時刻を指していた。ああ叱られる。これでは意味がないではないか。良いことをしようと街に飛び出たのにひとつしたってひとつ叱られては何にもならない。短いため息を白く吐くと腹の上でにゃあ、と猫が鳴いた。
「…待ってな。お前のこと放り出したりしないよ。飼い主はわかる。」
両後足がぶらりと垂れ下がった居心地悪そうな猫は低く一鳴きして、頬を腹にすり寄せた。アーミーには猫の飼い主を捜すべく街をぐるぐる見回すが銀の髪が目印のあの男はなかなか現れない。いやに活気づいた街と、さっきから流れ続けるベルの涼やかな音色。声音がどこも明るくて、薄着で猫を抱えた小さな男の子など目に入らないように忙しなく行き交いアーミーはますます心の空虚をかみしめた。寒さには強いし、猫もいる。だけど早く帰らなくては、いやこの時間では早く帰ってもセムに叱られると思ったら心虚しい。どうしたものかととぼとぼ歩くと小さな教会から歌声が聞こえた。賛美歌だ。ぱっと教会から離れるとにわかに猫が騒ぎ始めた。
「わっ」
猫が体をしなやかにくねらせその手からするりと抜け出すと、一目散に人混みの足下を走っていった。アーミーは慌てて後を追おうとしたが、猫が走って飛びついたのはあの目標の銀の髪の男だった。猫はすばやく男の手に乗り、アーミーはそれを見て安堵し、銀の髪の男が顔を上げる前に背を向けて走って逃げた。
白い猫なのに腹にブチがある特徴の猫だからすぐにわかった。猫の方は自分を覚えておらず抱き上げるのに随分苦労した。ゲームセンターであの男が肩に乗せていた猫だ。一目散に男に向かって走っていった猫を思い出して、果たしてこれは良い行いだったんだろうかと思う。放っておいても猫は一人で飼い主を見つけたのかもしれない。アーミーは猫のいなくなった腹がやけに冷え、雪のにじむスニーカーがとても重たくなるのを感じた。ベルの音は賛美歌が聞こえる方向から流れてきていた。赤い服を着たふくよかなじいさんのポスターをぎろりと睨む。
「……どうしよう。」
アーミーは家路につく道のりをできるだけ時間をかけて歩いた。降り止まない雪がヘルメットの被っていない頭の上にどんどんと積もり、それを時々振り払いながらのろのろと視線を彷徨わせた。財布でも落ちていれば善行ができるのにと思ったがどれだけ目を凝らしても落とし物は見つからないし、困っている人間どころか、今日の街を歩く人間はみんな笑顔を振りまいている。帰路につく曲がり角を逸れて、アーミーはどこへいくともなくふらりとセムの待つ家から離れた。いい加減寒さも麻痺した。
顔を上げると白く染め上がった山道が目に入った。葉の一枚もついていない木々に雪が乗って悠然と並び立っている。根を下ろした地面にも厚い雪が積もって、視界には白とくすんだ枯れ木色しかなくなった。どこか幻想的でもある。白い息をかじかむ手にかけるが息が温かいのかもわからなかった。手のひらはじんじんと赤く腫れて、指を曲げるのも辛い。もういい加減帰りたかった。定時で閉めた後はごちそうだと朝から張り切って多すぎる料理の下ごしらえをしていた。リリスはアーミーが一番好きなスープを用意すると言った。温かくて良い匂いのする台所を思い出してますます家が恋しくなった。
───だいたい人間ひとり、助けたくらいで、猫の飼い主を捜し当てたくらいで今までの悪行が帳消しされるわけ無いんだ。
アーミーは今はない腰にぶら下がっていた殺人道具の重みを考えると、それこそオゾンの修復でもやってのけないと自分は善人には昇格し得ないと思った。
「良い子にはほしいものが与えられるんだよ。」
セムが笑顔でそう教えたのは三日前、自分は驚愕した。

「アーミー!」
聞き覚えのある声に驚いて振り向くと、顔を赤く腫らして髪を振り乱しこちらに走ってくるセムが見えた。顔は怒っている。アーミーは即座に逃げ出したくなったけど、同時に嬉しくもなった。薄いスニーカーが雪に埋まってどちらにも動けなかった。
「セム」
「…心配、した、じゃないか…っ。」
セムは息を無理矢理整えて、アーミーを見ると、さらに顔を赤くさせて怒鳴った。
「君は私の言いつけをどうして守らないんだ!上着を着なさいと、何度言ったらわかる。寒さに強くても寒いのは辛いだろう!」
「でも、もう裸足で歩くのはやめてるだろ。ほら。」
「素足でスニーカーを履くなら一緒だ!靴下をはきなさいと言っただろ。」
セムはアーミーの頬を掴むと、その冷たさに泣きそうな顔になった。アーミーは居心地悪そうに手を振りはらおうとした。セムは自分の巻いていたマフラーははずし、アーミーの首に巻いた。コートも脱ごうとしたがそれをアーミーが止めた。
「いい、いらない。セムが寒いだろ。嬉しくないよ。」
「嬉しい嬉しくないの問題じゃない。君が寒いんだ。」
「じゃあもう帰るから、それは着ててよ。」
セムは渋い顔をしたが白い息を大きく吐き、じゃあ帰ろうかと微笑んだ。セムの大股の足跡の後ろを追うようにのろのろとアーミーも歩き始める。首に巻かれた温もりに涙が出そうになった。俯いているとセムが怪訝な顔をして覗き込んだ。
「いったいどうしたんだ。今日はパーティーだよって言ったはずだが、沢山の料理は、相変わらず苦手かい?」
アーミーはのろのろと首を振った。リリスの作ったスープの匂いを思い出すだけで腹が鳴りそうだ。下ごしらえの準備は全部自分の好物だった。
「アーミー?」
「セム、門限やぶったの、怒らないな。」
服にはたくさん怒られたけどと不満げに言い足す。が、セムはにっこり笑ってアーミーの小さな頭を何度も撫でた。
「士朗からさっき電話があってね。居なくなった猫が無事に帰ってきたんだけど、ゲームセンターにつれてきていた小さな男の子が側にいたようだっていうんだ。猫を届けてくれてありがとうと言っていたよ。君だろう?」
アーミーは恥ずかしくなってマフラーの中に顔を埋めた。見られていたのか。セムはまるで自分の手柄のように誇らしそうに笑ってアーミーを褒めた。自分はどうでも他人から見ればこれは善行になった。善行のカウントは、自分が満足してそう思うことなのか、それともあの白ひげの老人の視点からみることで認められるのか。もしくは空を飛ぶトナカイを飼う老人は人間の本質を見抜くことができて、真に善の人間を見抜くことができるのかもしれない。そうだったら自分は到底圏外だ。
「アーミーは、良い子だね。」
胸がずくんと痛んだ。

「…良い子じゃない。」
セムは振り返った。アーミーのつぶやきを拾い損ねて、え?と聞き返す。立ちつくしマフラーに顔を埋めて表情を隠しているが薄着の肩が震え、泣き出しそうな雰囲気だった。
「アーミー?」
「俺、良い子じゃないよ、セム、どうしよう。」
セムはアーミーに近寄って屈み込んだ。赤くなった頬と辛そうな大きな目は今にも泣き出さんばかりだったけども、一度強く眼をつむっても涙は見せなかった。セムはアーミーが何に傷ついているかわからず最適な言葉が見つからなかったが、聞き出すよりも慰めたくて、「アーミーは、良い子だよ?」と繰り返した。アーミーは首を振った。
「良い子なもんか。良い子になろうと思って、三日前から試行錯誤してみたけど、うまくいかないし、そんなちっぽけなことしたって今までやってきたことに比べたらどれもこれもみそかすみたいだ。今までやってきたことは消えてくれないだろ。なあ、セム、どうしよう、俺良い子じゃないから、きっとサンタが」
セムは言葉をかけられず、ふるえる小さな肩に手を置くだけだった。アーミーがなにに必死になっているのが、あのおとぎ話のサンタクロースのことだと知らなかった。教えたのは自分だが、躍起になるほど会いたがるとは思わなかったのだ。だけど彼の思い描くサンタクロースは、おとぎ話の優しい老人ではなかった。
「良い子に欲しいものを与えるなら、良い子じゃない俺には、なにもかも奪いにくるに違いない。」
アーミーは泣かずに鼻を鳴らした。
「暖かい家も、白いスープも、ケーキも、セムも、リリスも、みんな。」

セムは情動に駆られてアーミーを抱きしめた。アーミーの冷えた頬に頬を擦り、温もりがなるべく移るように体を包み込んだ。自分が教えた知識に言葉が足りなかったと後悔するよりも、彼が無くしたくないと思ってくれている気持ちが嬉しかった。彼が注ぎ込んだ過保護だと文句を言われるくらいの愛情が、アーミーに伝わりアーミーを満たしていたのだ。セムは幸福な気持ちと愛情が溢れかえり、小さな体を抱き上げた。
「大丈夫、アーミー。君ほど良い子はみたことがない。リリスもそう言うよ。だって私たちをサンタクロースから守ろうとしてくれたんだものね。だから今度は君が恐れるものから、私が守ってあげよう。」
「どうやって?」
「パンとケーキと白いスープでさ。」
アーミーは頬を赤らめて憮然としたが、すぐに細い腕でセムの頭を抱きしめた。アーミーの肩の震えが止まり、顔のこわばりが無くなった。セムは愛しそうにアーミーを見つめ、頬にもう一度頬を寄せた。後ろから、髪の長い女が走ってくるのが見えた。ケーキにパン、チキンと白いスープ。温かい家。セム、リリス。今全部がアーミーの視界にあった。雪の中なのに分厚くて肌触りの良い布団にくるまれているような気分だ。一度だって忘れたことのない自分の悪行を持ったまま、そこに沈んでいく。当たり前のように布団は包み受け入れてくれる。ただ後悔するだけで何も償わないままその温もりを無くしたくないと駄々をこねる、自分は結局良い子ではない。


サンタさん、なにもかも奪ってしまわないで








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