エスケープ






ニクスは深く聞かない。境界線を引いて絶対にギリギリで踏み込んでこない。
甘えようと手を伸ばせば上手くすり抜けて窘める、とても、出来た男だ。
そして聞かずとも大体を察してくれる聡明さもあった。
いつからかその心地よい距離に頼り過ぎるようになった。


「大体馬鹿な道を選んで、馬鹿なやり方してるからそう疲れるんだ。よくない。」
「その馬鹿な道は結構細くて、手段を選んでられんねや。大概がな。」
「嫌な世の中だ。」
「年々晩婚は増えとるからな。」
「Hit and Away!」
「嫌なやっちゃ」
振り回したニクスのカップから珈琲が今にも飛び散りそうだった。
自分の分の珈琲を入れて、既にニクスが堂々と座っている2人がけのラブソファに腰掛ける。自分の頭上ででかい掌が影を作った。
「もう少し頭よくなれよ。」
「なれたら、やめとる。」
おろした髪を何度も何度も撫でる手の感触に、いつもは逆立てた自分の髪がなんだか自分のものではない気がした。どうせ外出予定も無いとセットしていない髪とラフなTシャツ。ニクスはニクスで、フェイスペイントもサンバイザーもなく乱暴にくくりあげた長めの後ろ髪が不精気味だったが、それでもやはりこの男は美形だと思わせた。
ぼんやりと定まらない視点をふらつかせていたら、その視界にだんだんとニクスが大きくなっていった。一度瞬きをして合わせた焦点にはもうニクスは目の前だった。そして慣れた手つきで、それはもう優しく、髪をかきあげ頬を撫で逆の頬にキスをした。
自分はそれを拒むよりも強請るよりも目蓋を閉じるよりもなんとかして珈琲をテーブルに置く事を考えた。次は額に一回。お返しにとニクスの白い頬をレロっと舐めた。声も無く笑いあう。お互いじゃれ合いのようなキスを繰り返す。唇は絶対に触れずに。


―――随分前に、セムの家にひょっこり現れた、決して良い身なりとは言えない細い子供にあったことを思い出した。まるで手負いの獣のように身の毛を逆立て、小さな体のすべてから出来る限りの敵意をふりかざしていた子供。情けなくも臆して、関わらないようにしようと手をポケットに深く突っ込んだが、その後遅れてきたニクスを子供が見つけると驚くほどその空気が和らいだ。ニクスが雰囲気を明るくさせるような人物だとは言えない。寧ろ気分屋で、人に神経を逆撫でする事は少なくない。だがその少年は、少年に聞いてみると、ぶっきらぼうにニクスといると落ち着くと言った。
ニクスはとても――傷のあるものに対する扱いを心得ていた。
目線をあわせ、目を瞑る所は瞑り、踏み込まず触れずときには膝を貸してくれると。釈然としない俺を一瞥して少年は、ニクスに寄っていった。

説明や愚痴は一切言った事が無い。ただ自分の張りつめた線の弱い部分を、あの赤い目で鋭く見つける。話を聞いてくれなくていい。理解などしてくれなくてもいい。ただ、たまにこぼれる弱音や情けなく身を擦る時、抱きとめてほしいと思うのは、何も聞かずに傍に居て欲しいと願うのは、我侭でも誰もが欲する。
少年のニクスに対する感情を、深く理解した。


「ケチな奴。」
どうせくれるなら最後まで包んで欲しいのに。
「俺はお前にとびきり甘いだろ。」
「ふっ」
そうだ自分は甘える。識以上に、目の前の男に。


やがてキスの応酬が止んで、お互いの目を覗き込んで触れていた。
信じられないくらい優しく拭ってもらえることを知っているから、頬を伝うそれを垂れ流しにした。ニクス、参った。識以上に俺はお前から離れられへん。ここは適温すぎる。


きっとメールの返信が滞り、電源を切った自分を心配する識に
なんと言ってこの空白の時間を埋めようかと、そろそろ考えはじめなければならない時間が経っていた。











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