ミカンセオリー






アーミーの好きなものの三番目がチョコレートだと決まった頃だった。
「お風呂にどうして蜜柑が浮いているんだ?」
「ああそれはね、」
といいかけて慌ててやめた。そんな風習私だって知らない。





蜜柑ゆず文旦ポンカンすだちオレンジはっさく伊予柑グレープフルーツ
「まあ」
ネーブルだいだいデコポン小夏タンゴールたんかんレモンピッコラプリマベーラ
ダイニングには柑橘の甘酸っぱい匂いが充満していた。テーブルの上にそれらは大量に、いつもの果物かごには全部は収まりきらずあふれ出して並べられていた。年中見かける一般的な果物から季節に限定されているもの、果肉を食するものではないものまでさまざま。共通するものは、色大きさは違えどその果皮に覆われてっぺんにはちょこんと緑のヘタのついたその外見だった。
リリスは首を傾げてそれらを見回し、まあまた兄がなにか面白いものでもつくるのだろう。と適当に納得してリビングの扉を開けた。思わず涎がこぼれるような柑橘の香りがむせ返り鼻を鋭くつついた。
「ただいま、何してるの?」
「ああお帰りリリス。いやなに…」
「リリス!」
リビングではこれまた机いっぱいに広げられた先ほどと同じような果物を、セムが果物ナイフで皮に切れ目をいれせっせと剥いている。脇にはゴミになった果皮や甘皮がまとめて積み上げられていた。その量たるや一般の家庭ではとても一日では食さない量だった。帰ってきたリリスをアーミーは滅多にない熱い歓迎で迎えた。ぐったりと座っていたソファから飛び降りてリリスの腰にへばりつく。
「お帰り、なあ、セム止めてくれよ。俺もういらないっていってんのにやめないんだ、これ以上食えねえよ。肌から真っ黄色になる!」
「あら、なあに?」
「もう味わかんないよ。」
リリスはアーミーの髪を撫でて、兄さんアーミーをいじめてるの?と尋ねた。セムからは八朔の切れ目をそのまま真っ二つにしてしまいそうなほどの勢いでとんでもない!と叫んだ。もちろん、そんなこと解っている。だがアーミーはじつに困っていた。
「すごい匂いよ。ここにいるだけでビタミンがとれそう。」
「リリス手は洗ったかい?なら一緒に剥くのを手伝ってくれ。」
アーミーはリリスに向かっていや、いやと首を激しく振った。そして皮だけとなった残骸の山を見る。この量をアーミー一人で食べさせられたのだろうか?それはちょっとすごい、アーミーが嫌がるのも無理ない。しかしセムの指は真っ黄色で、一心不乱に全部違う種類の果物をせっせと剥いていく。マニキュアもしていない。アートは指先からだとネイルに毎日命をかけていた爪が黄色に染まり爪先は欠けている。アーミーのことでとても不都合があったに違いない。
「何があってこんなに果物を買ったの?」
「アーミーのためだよ!」
セムがナイフをもった手を振り上げて大げさにそう叫ぶと、アーミーは顔を赤くさせて俯いた。今は寒さも混む12月。蜜柑の旬。そして地味と言えば地味な、それでも古くからそれは決められていた行事だった。冬至。今日は一年のうちで最も夜が長い。
テレビニュースで天気予報の後に、各地の温泉で柚子風呂が奉仕されていることを報道していた。冬至の読み「とうじ」から湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけて、更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いを込めて長年受け継がれてきた伝統行事である柚子風呂。風呂に浮かんでいる果物であればそれは柚子だと日本人は当然のように考える。アーミーはテレビを指さして「みかん」と言った。オレンジ色で黄色でヘタがあって丸くて、その果物を彼は一つしか知らなかった。オレンジも八朔も伊予柑も、みんな蜜柑だと考えていたことにセムは気づいて、真っ青になった。セムにとっては衣服も箸の上げ下げもみかんの種類一つも育てていく上での責任の範囲だ。いつか社会に出て、彼が恥をかくことがあってはならないと強く誓っていた。
「蜜柑がオレンジごときで、こんな賢い子が馬鹿にされては堪らない!」
マーケット中からかき集めてきた果物の量が彼の失った冷静さに比例していた。アーミーはぶつぶつと悪かったって、と呟いている。なるほど、リリスにも身に覚えのあるような気がした。鉛筆の持ち方と箸の握り方が早くに身に付いたのは他でもないこの兄のおかげだ。しかしあまりモノを沢山食べるのが得意ではないアーミーには、可哀相な事態以外なにものでもない。
「いよかんやオレンジはともかく。」
聞いてもらえるように若干低めの声で、リリスは兄のそばに腰を下ろした。
「私だってこんなにたくさんわからないわ。これなんて一般的じゃないわよ。それにお腹いっぱいなのに食べさせるなんて、アーミーのあんまり好きでないものが増えたらどうするの?」
リリスはやたらと名前のややこしい果物を指でつつきながら言った。『ピッコラプリマベーラ』5分たてば忘れてしまいそうな長い名前だ。まず世間の会話にはでてこない。アーミーはリリスの後ろでうんうんとまた強く頷いている。アーミーのあまり好きでないもの、は随分遠慮がちにそう言ったもので(ただの強がりかもしれないが)喉に押し込むのも辛いくらい嫌いなもの。プレートの端で最後まで残ったそれをフォークでいじりながら、これ、あんまり好きじゃないとぽつりというのだ。一番はカリフラワー、二番目に有頭エビ(頭の取れているものなら良い)三番目にたくさんの蜜柑、が今ノミネートされつつある。
「む…。」
セムはオレンジを剥く手を止めた。ちらりとリリスの後ろにいるアーミーを見ると、アーミーは決まりが悪そうに目を逸らした。セムは果物ナイフを下ろし、少し拗ねたように溜息をつく。
「みかんは嫌いかい?」
「…今はちょっと。」
好きじゃない、とあくまでひかえめな声で俯いたまま言った。アーミーはセムが悲しそうな顔をしているのではないかと思って顔を上げられなかった。
「すまなかったねアーミー。嫌いにさせるつもりじゃなかったんだ。」
「あらまだ大丈夫よ、ね?オレンジは明日ジャムにするわ。八朔やネーブルはフルーツゼリーに。アーミー、ゼリー好き?」
「…すき。」
「アーミー、怒ってないかい?」
「ない。」
アーミーがのろのろと顔を上げると、ほっとしたようなセムの顔と、いつもと変わらないリリスの笑顔があった。悲しそうな顔をしていなかったので安心した。セムがこいこいと手招きをして、近寄ると大きな手がうんと優しくアーミーの頭を撫でた。アーミーはむず痒かったけれどセムが微笑んでごめんね、というのでおとなしくしていた。
「君の嫌いなモノを私が増やしてしまわなくてよかった。買っている間はなにが君の好きな味だろうと思って選んでいたのにね。夜は柚子風呂にするから、体験してみてくれ。体が温まるし良い香りだよ、きっと好きなものになる。」
「うん。」
「お詫びに夕飯は君の好きなモノにしようね。」
セムは両手を広げて意気揚々と言ったが、アーミーは腹をさすっていた。腹には先ほどの果物の軍勢がぎゅうぎゅうに押し込まれていて動いただけでちゃぷんといいそうだ。セムは情けない顔になったが、リリスはくすくすと笑い出した。
「アーミー、たくさん食べた中でどれが一番美味しかった?」
アーミーは少し首を傾げるようにちょっと考えてから、ミカン。と言った。
蜜柑の暴落が免れた。だってゼリーは彼の2番目に好きなもの。

せっかく社会勉強を教え込んでやろうといっぱしの父親みたいなことを思っても、結局はこの男の子の周りを好きなモノだらけでゼリーのように固めて、おいしいミカンの育て方のように手間をかけて甘やかして甘やかして甘やかしてやるのだ。








なんかも…ほんとすみませ…(土下座自殺













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