ディアリトル




アーミーは笑顔で待っていた。ガスマスクを背負った少年が、からかうように言う。「俺は来ないと思う。」
アーミーは言った。
「来るよ。」
微笑んで、眩しそうに空を見上げると、夏の始まりを知らせる明るくて新しい太陽が洗いたてのような真っ白の雲の後ろで眠りながら時間を刻んでいた。来るとも、だからしばらくのんびりしよう。アーミーの心は楽しさで弾けそうになっていた。ガスマスクの少年も笑った。



セムは走った。十一時十八分の電車に乗れるようにこの年になって初めて全速力で走った。切符を買う時間もなく、お札を突っ込んでプリペイドカードを買いベルの鳴る改札に突っ込んで二段飛ばしで階段を下りた。十八分の列車は到着していた。プラットフォームにたった車掌が迷惑そうな顔で見ている。そんなことには気にもとめず、半分しまりかけたドアに体をねじり混んだ。一度ドアが不満そうに開いて、もう一度閉じた。閉じた扉にもたれしゃがみ込んで息を整えていた。
土曜の昼間、各駅停車列車は乗客もまばらで、眩しい車内を細めた目でみると居眠りしたお婆さんが一人、ヘッドフォンの音量をばかみたいに上げて体を揺すっている女子学生が一人、セムの乗った車両にはこれだけだった。セムは立ち上がり一番手前のシートに座って、乱れた襟首を整えながらズボンの後ろから紙切れを取り出した。
「月の字のつくひまわり公園…。」
セムは紙切れの文字を小声で読み上げた。紙切れには他に、てっぺん太陽、とろい列車と書かれてある。

とろい列車
てっぺん太陽
月の字のつくひまわり公園

置き手紙はこれだけ。正方形の、店の電話機の隣に置いてあった小さなメモ帳に青のボールペン小さな文字。セムはそれを頼りに走っていた。あの小さな頭の子はどこだろう。イタズラ好きのあのかわいい子はどこ?アイスクリームを買ってくる間に消えてしまったあの子。
セムはもう一度メモを見て、ポケットにまた突っ込んだ。列車は苛々するほどゆっくり揺れて、女子学生のヘッドフォンから漏れているわけのわからない音が広いはずの車両に流れていた。てっぺん太陽、もうすぐ正午に近づく高い太陽は電車の中をも隅々までまぶしく照らしている。そんな気分になりたくないのに、周りは時間が止まったように静かで穏やかだった。
ドアの上の路線図をみると、各駅停車でしか止まらない目的地はあと5つ先だった。月の字のつく駅は、そこひとつだけだった。
かわいいあの子はなにを考えているんだろう。



「正午を過ぎたらどうするつもり。」
ガスマスクの少年が言った。アーミーはゆっくり振り返り、少年と合った目をしばらくなんの意識もなく覗いていた。虚空にわたる目をしていると思った。美しくてなにもない。少年は未だ気付いてないのだ。ならば自分のこの喜びを、沸き上がる上機嫌を、言葉に表せない期待を少年にはわかるはずもない。
なぜなら彼は来てくれるのだ。太陽が天頂を下るまでに、必ず自分を見つけに来てくれる。
「来るよ。」
アーミーは言った。少年は肩をすくめた。
「なんでこんなところで待つ?」
「ここがいいんだ。俺の背は高くないから。」
ひまわり公園のその広い敷地の四分の三はそのとおりひまわりで覆い尽くされていた。今が盛況で、どのひまわりも凛と上を向いて花びらに葉脈にいっぱいの日の光を受けて誇らしく輝いている。このひっそりとした小さな街の、ここは小さな観光地にもなれる気がした。それくらい立派なひまわり畑だった。少年とアーミーが今座っている木塀から飛び降りると、二人の姿をすっぽりと隠してしまえるほど、全てのひまわりは身長をゆうに越えて高く花開いていた。
少年はばかなやつ、と言うように笑った。
「なんでそこまですんの。」
「お前はまだ知らないんだよ。」
見つけて貰いたいんだ、とアーミーは言った。
少年は木塀に足を引っかけて逆さまにぶら下がっていた。そこらのひまわりを二、三本引きちぎって、振り回して遊びたいといった顔をしている。アーミーが少なくしたらダメだというのでしぶしぶしないでいる。こんなひまわりしかない場所で、ひまわりで遊んじゃダメなんて他に何もない。少年はアーミーを見た。いったい彼はどうしたんだろうと思った。ひまわりの影でかくれんぼとか、招待状を残して隠れて見つけて欲しいとか、そういうわけのわからないものに少年はどれだけ考えても価値を見いだせなかった。それを言うと「お前はまだ知らない」とアーミーは言った。
アイスクリームをどうしただろうな、と少年は言った。店の前に落としたら、それはアイスクリーム・ショップの店員が片づけなきゃならないんだぜ。アーミーはまた笑みを深めて、それがいいと言った。俺が見つからなくて、アイスクリームを落としてほしい。
「頭おかしくなったんじゃねえの。」
「そう。アイスクリームの食べ過ぎで。」
なんのためにアイスクリームが欲しいと言ったのか。自分の好物で、一日に一個与えられて、欲しいと一言いえば喜んで買いに走っていくことを知ってるからだ。そのわがままも含めてアーミーは楽しくて仕方がないのだ。
ストロベリーとチョコチップのダブルを頼んだ。アイスクリーム・ショップのタイルの上に落ちて広がる様を想像してアーミーは愉快そうに笑った。
「ひとつもわからない。」
「わかるときが来る。」
「本当に?」
「ああ、あの電車だ。セムがくるよ。」
「どうしてわかんの。」
「これを逃せば、次ののろい列車は正午を過ぎるから。」
アーミーは楽しそうに笑った。少年はまた首を捻った。
電車が駅に止まり、しばらくしてからまったく同じ姿で発車していき、そしてまたしばらくしてから一人の男が豆粒を転がすように駅から走って来るのが見えた。アーミーはしばらくその姿をみていた。本当は今すぐにでも飛び降りて駆けたいという顔をしていたが、わざとそうしなかった。木塀の上に座って自分はここだと教えるためだった。豆粒の男が徐々に近くなるに連れてその長身な姿をはっきり確認することができ、いよいよ表情までわかるようになると、アーミーはやっと木塀から飛び降りた。男はアーミーの名前を叫んだ。せっかくみつけたのにひまわりにすっぽり埋もれて見えなくなった少年を捜していた。その表情はどこまでも真剣だった。
快感だというのだ。自分が居なくなって騒いで、見つけて抱き上げて叱る、見つけたときのあの不安と緊張でギラギラと光る目が一瞬で愛情を零すその瞬間を見るのがとても快感だとアーミーは言ったのだ。叱られた後に、愛おしく何度も撫でる。その後の、多少の我が儘に寛大になる甘さも、たまらない。やみつきになるお菓子のようだ。悪いこととは知っていても、アーミーはちっとも悪いと思ってないようだった。なんていったって幸せそうな顔をするのだ。
セムはアーミーが走るたび揺れるひまわりを頼りに目をきょろきょろさせて、不器用にひまわりをよけて走っていた。歩いても変わらないくらいの速さだったのに、彼は全力で走っていた。からみつくひまわりをうざったそうに睨んでいる。そうしてアーミーがセムとあともう5歩ほどの距離にまで近づき、アーミーは嬉しそうにセムに飛び込んでいった。セムは何かをいいながらアーミーを抱きしめた。力強く抱きしめて力強く撫で、叱りながら安堵の息を漏らしていた。
アーミーはセムの肩に埋もれてちっとも反省なんかしていない笑顔でごめんなさいと繰り返していた。
ガスマスクの少年は木塀の上で肘をつきながらそれを見ていたがやはり理解できないと思った。アーミーが困らせるために、これを手に入れるために何度も繰り返してしまう「失踪」は、とうとうヒントが必要なまでに広がってしまっていた。彼のその行為を、中身のないものだとは思わないけど、それほどまでにしてなにを手に入れたんだろう。またそうしなければ満たされないものを知ってしまったんだろうか。
力強い風が吹いた。ひまわりは連なったように同じ方向に揺れ、葉がこすれ合う優しい音がざわめき合った。アーミーはセムに抱き上げられて、彼の愛情を感じていた。少年はあの意味がわかるときがくるとは思えなかったけれど、少年とまったく違う道が用意されているとも思いたくなかった。アーミーはわからないじゃなくまだ知らないと言ったのだ。それはアーミーが少年に知って欲しいと思う気持ちだった。

アーミーがチョコチップとストロベリーのアイスが食べたいと言った。
セムは笑って頷いた。そこで少年は、はじめてセムの顔を見た。
ひまわりのような人だと思った。






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