水の星に暮らす



「エラゴン、交代しよう。」
マータグは眠そうな目をこすり、擦り切れた毛布をエラゴンの肩に掛けた。エラゴンは頷いて燻っていた薪をかき混ぜ毛布の温もりから出たばかりのマータグのために火を強めた。サフィラはブーブーと気持ちよさそうな寝息を立てていて、明かりが鱗にチラチラと反射して光る。マータグが一度大きな欠伸をかみ殺した。
「まだ眠いなら、僕はまだ見ていてもいいよ。僕は大丈夫だから。」
「いいや交代しよう。そういう約束だろ。今は疲れていなくたって、明日の朝にくるもんなんだ。」
マータグは腰を下ろし、火かき棒で薪を寄せた。火はジリジリと勢力をためて暖かな赤い光をじわっと漏らしている。
「落馬されても困るしね。」
エラゴンは苦笑した。
夜の砂漠は季節に関係なく冷え込む。昼間の直射日光にほてらされた肌が嘘のように冷たくなり、このまま寝ても筋肉が固まってうまく体は休めないとはわかっていたけど、ひと運動して体を温めてから寝ようという気力もなかった。掛けられた毛布を寄せて、星空を見上げた。
「けど僕さ、砂漠の夜は嫌いじゃないんだ。もちろんこんな状況じゃなければもっといいんだけど。」
砂漠は戦慄した戦場だった。背後からアーガルの幻が襲ってきては振り払い走り続けた昼間を思い出すだけで疲れがどっと湧き出て、その極度の緊張によって筋肉が固まっている。エラゴンは肩をあげて腕を伸ばし、軽くストレッチしながらいった。
「僕の暮らしていた村は一年の半分が雪雲に覆われていて、こんな美しい星空を見れることは本当に稀だった。今は惜しみなく、その気になれば一晩中見れる。」
マータグがわざと大げさに恐れをなしたようにおどけてみせた。
「君は大物だな。こんな状況で星空を楽しめるなんて。」
「だからさ、生きてこの星を見られるのが日々感謝感激の連続だよ。より輝いて見えるだろ。まあ君は旅が長いから、僕の気持ちはわからないよ。」
「僕だって砂漠を渡るなんて無謀な旅は初めてだ。」
マータグは笑いながら肩をすくめた。見上げるとあかりのように強い光を放つ星が、またたくなんて生やさしい言葉ではなく、まるでギラギラと輝いて太陽より誇らしげで、振りまいたように出鱈目に空を飾る。
パチリと音をたてて火が勢いを増していった。
「ああ確かに美しい。だけど、星あるところに水が湧く、というのは嘘だな。ここは砂漠だ。」
「星を読めってことだよ。それに、水はあるさ。僕が出してるじゃないか。」
「ああ、まったく、君が居なきゃとうに干涸らびてるよ。」
嫌味めいた文句を吐きつつも、そのとげの丸みにもう何年来の友達であるかのような親しみを感じて、エラゴンは嬉しくなって微笑んだ。
「しばらく星読みでもするなら、湯を沸かそうか?茶葉ならすこしある。」
「いいやいいよ。君の見張りに勝手に付き合ってるんだ。」
マータグは微笑んで、顎の先で彼を座るように促した。
「貴重な茶葉と、星から溢れるように湧く水を節約してくれて嬉しいよ。」
壮観な夜空は、その派手な輝きに反して不気味なほど静かに砂漠の全てを覆う。まるで世界を征しているようで音のないことが不思議に思えた。こんな星空が世界中の真上にどこでも広がっていて、実はカーヴァホールでも見上がるだけで本当は簡単に見れることができるなんて。エラゴンは少しずつ高揚していく気分に、気持ちよく身をつけた。そしておとぎ話の、星と水との関係性を考えてみた。
「エラゴン、でも本当に休めよ。明日落馬してアーガルに追いつかれる前に首の骨を折って死ぬぞ。」
「気にしないでいいったら。」
「じゃあ毛布にちゃんとくるまれ、せめて体冷やすなよ。あ、一緒に入ってあげようか。よく温もるぞ。」
エラゴンは照れたような呆れたようななんともいえない顔で広げた手を押し押し返した。マータグは遠慮しなくて良いのに、と喉の奥でからかうような笑い声で言った。
「でも君がそんなに星が好きなんて知らなかったな。」
「今はもの珍しさからだよ。だけどいつか飽きるのかな。それまではずっと見ていたい、瞼の裏にでも映ってくれればいいのに。」
砂漠が穏やかに波打って、砂と風がさらりと舞い上がり頬を舐めた。
「ねえさっきから考えていたんだけど、星と水は位置的には対極だよね。」
「うん?ああ。」
「星在るところ水在り、なんて一説、どうして言葉の違う国にだって常識のように広がったのか解らない。僕はこの一説を含むおとぎ話をブロムから聞いたんだ。あの村で育った子は多分みんなそう。それが常識みたいな言い伝えだって知ったのは旅に出てからですっごく驚いたんだ。」
「うん、僕も国一番の語り部から聞いたな。そうだねえ。」
マータグはさらさらとした砂漠の砂をひとつかみ、手にとって流し、風向きによってそれがエラゴンの腕に当たった。砂漠の砂は星明かりをあびてきらきらと輝き滑らかに落ちていく。それがたしかに水に見えないこともない、と思ったが、やっぱり一説が指しているのは本物の水のことだろうと思った。水に見えないこともないな、とマータグが呟いた。エラゴンは苦笑した。
「でも間違っていないと思うよ。たしかに位置は対極だけど、どこまでも道が平坦であったら地平線上に海と星が一緒になれる。」
ああそのことなのかな。エラゴンは妙に釈然としない気持ちだったが、それをマータグは見透かしたように続ける。
「比喩めいたことであれば希望を持たせる一説だとも考えられる。つまり星も水もないところなんてないし、雲が覆っていればその向こうに星があるに違いないと思う。旅人たちに希望を持たせるための一文だったとか。だけど…うん、そうだなあ──それが有力だとつまらない。あんまり現実的じゃないほうがいいな。」
エラゴンは頷いて、その自分と似た考えが嬉しくて期待しながらマータグの顔を覗き込んだ。それが可愛くて、マータグはエラゴンの頬を撫でた。
「こういうのはどうだい。星と水だけで大地が登場しない。だから、最後にはみんな星と水が世界を覆うんだ。」
「それじゃあ黙示録じゃないか。」
「うーんでもそうかもしれない。これは大きな予言だったりして。世界中に触れ回った常識なような予言だ。」
マータグが妙に神妙な顔で言うので、エラゴンはおかしくなって笑った。随分自分の期待と逸れた。そういうとマータグも笑った。
「君の村が雪に囲まれているなら分厚い雪雲の向こうはここに負けないくらいの星空が広がってるはずだよ。君の村はいつか雪が解けて水に還るぞ。雪解け水が洪水になって村落は流されて、そのとき残る物は、ここより美しい星空と水だけだ。」
エラゴンの脳裏に、もう跡形さえ残さない十数年すごした家や、会うことの出来ない人が、その土地で元気に過ごしていた日常が思い出された。今はもう懐かしく、夢のようだ。信じられないという感覚もない。
瓦礫になる前の家や畑が水に沈み、眠るように活動を止めた村を足下に、その雪解け水に浮かんでここより美しい空を見上げている自分を想像した。不思議と絶望とはかけ離れた感動が巡る。もしそのときが来るなら、自分はどうにかしようという気すらなくなすがままに雪解け水に浮いているだろうと思った。
「うん、マータグ。」
「ん?」
「希望かもしれない。」
先の見えないこの旅路の暗示にも思えた。
「星と水があれば、夜が明けるし波も引く。そこから現れるのは、大地で、うん、そうか。そうなったらもう一度やり直せること。」
「君の希望?」
「そう。」
マータグは肩を揺らして声なく笑った。
「僕は君のそういうところを好きになったな。」
エラゴンの肩を引き寄せてキスをした。エラゴンは照れて、瞼を伏せたがすぐに胸を押し返し、後ろでまだ気持ちよく眠っているサフィラをちらりとみた。マータグはまだ微笑んでいて、エラゴンの体を包む毛布をしっかり合わせて、もう寝ろよと言った。だけどエラゴンの頭はまだ水浸しになったカーヴァホールの上に浮いたままで、しばらく眠ることはできないと思った。マータグの隣にそのままごろりと横になると、瞬く星空で視界がいっぱいになり、目を細めると光がのびて先日見た湖の波光によく似ていた。ああ、発見した。ここにも星に水。おいマータグ、新しい説がもう一つ誕生したぞと伝えたかったが、思ったより溜まっていた疲労が脳をたっぷり侵しはじめて口の中でゴニョゴニョと消えていった。二、三まばたきすると光が不細工に間延びした。これからいく先々で、この星と、水と、それだけが希望になり続けるんだろう。エラゴンは、水浸しになったスパイン山脈からでもきっとドラゴンの卵を見つけてやろうと思った。そうすればブロムにしかられることもないだろう。わずかに動いた指先がマータグのズボンの裾に触れた。君が居てくれて良かった。









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