寂しいと思うのは間違ってる?



朝起きれば一番最初に目に飛び込むし
寒い日は潜り込んで一緒に寝たりもできる
誰よりも先に挨拶をして、頭をなでてもらって
同じ部屋で肌の触れるほど近くで着替えをする
3日に1回わざと間違えるボタンをかけ直してもらう
ご飯は同じ。石けんも同じ。だから匂いも同じ。
なにより流れる血も細胞も遺伝子すら

これで寂しいと思うのは、間違ってる?














「あ、飛行機雲」

部活後の下校途中、日の沈みきった空にぼんやりと浮いたような白い細い線を見つけて由太郎は足を止めた。さして珍しいものではなく、二歩先を歩いていた魁は生返事を返しただけで由太郎をおいて先にいく。
魁と由太郎の距離が2mほど離れたところで、由太郎は視線を戻した。

「昼の飛行機雲も好きなんだけどさ、夜のほうが天の川みたいで奇麗とおもわない?兄ちゃん。」
「天の川か、ここではめったに見られぬからな。」
「じいちゃんとこの空は、天の川どころじゃなかったなあ。あーもっかい見てえ!今年の夏もいくのかな?」
由太郎は距離をつめるわけでもなく一定の速度で歩き出す。
「遊んでいる暇などない。由太郎、夏の選抜に参加しないつもりか?」
「冗談だよ。兄ちゃん、かったいんだから。」


土手河原には誰もいなかった。通行人が2、3人いたかもしれない。しかしそれは視界にははいらない。鈴虫の早鳴きがちらほらとあがる中で、由太郎はじっとその見なれた背中を見続けていた。大きな、生まれたときから見て育った兄の後ろ姿は、やはり何年経っても嫌で今すぐ駆け寄りたい衝動に駆られる。
しかし今日はそれをぐっとこらえた。


―――こんなわずかな距離ではないか。


早まりそうな歩数を慎重に意識して、怪訝されないように適当な会話を探す。
「今日沖と話してたんだけどさ、沖は天の川みたことないって。」
カツッと蹴った石が鈴虫のなく草むらに飛び込んだ。
「沖は東京生まれ育ちだからさ。俺じいちゃん家の村のこと話してたらちょっと羨ましがってたよ。沖がいいな、なんていうの珍しくない?でも井戸水とか五右衛門風呂は嫌がってたけど。ね、兄ちゃん。俺今年の合宿はじいちゃんの村みたいな星の奇麗なとこいきてえな。」
「拙者にはなんとも…親父殿に直接頼んでみろ。」
「いーいアイデアだと思うんだけどなー。疲れた体もスッキリ!てさ。」

早口ではないだろうか。白々しくはないだろうか。
自宅までの距離がこんなに遠いとは。無理して引き出した会話がこんなにも気が張るものとは。
兄の背中を見続けることに耐えられない由太郎は、今は魁が振り向くことを恐れている。気付くな、気付くな。祈るような気持ちで、拳をぐっと握る。
今まで由太郎は魁に一辺の嘘すらついたことはなかった。
これは嘘だろうか
自分は兄に今嘘をついているのだろうか。


「あ、兄ちゃん。今日昼呼び出されてたね。何だったの?」
「日直だっただけだ。問題集の回収を頼まれた。」
「ふうん。三年の問題集ってあのぶっといやつだろ?」
「由太郎。」

魁が足を止めた。
由太郎はぎくりと身を引いた。

「今日は如何した?」
「何が?」

返答は不自然に素早く答えてしまった。
あんなに覗き込みたかった、兄の顔がこちらを向いている。
それだけで心臓は飛び跳ねそうに嬉しいのに
ほんの一時、姿が見えないだけでこんなに―――こんなに


「普段のように、飛びついてきたり触れたりはせぬのだな。」
触れたり。
その言葉に耳がこそばゆく、頬が上気してしまった。
触れたい、触れたい。
背中なんて嫌だ。
だけどだけど


自分はどうしたんだ


「なんでもないよ。」
「…左様か」
「兄ちゃん。」

「俺おかしいんだ。」










自分と兄の生まれた時間が逆ならば
自分が生まれる前に母の腹に忘れてきたものを、兄が吸収して生まれてきたのだとでも解釈しただろうか。
どうすればいい。自分の何か大事なものを、兄ちゃん、兄ちゃんが奪ったんだろ。


由太郎は顔を伏したまま、拳を堅く堅く握りしめ唇を噛み締め嗚咽を堪えた。

朝起きれば一番最初に目に飛び込むし
寒い日は潜り込んで一緒に寝たりもできる
誰よりも先に挨拶をして、頭をなでてもらって
同じ部屋で肌の触れるほど近くで着替えをする
3日に1回わざと間違えるボタンをかけ直してもらう
ご飯は同じ。石けんも同じ。だから匂いも同じ。
なにより流れる血も細胞も遺伝子すら だから

寂しいと思うのは、間違ってる。


「由太郎っ?」
「俺、どこかおかしいんだ。にい、兄ちゃんと離れるのが、毎日毎日、苦しくなっていく。家おんなしだし、部屋もおんなしだし、ご飯だっておんなしなのに、学校で別れるときとか、今もこうやって前にいるのわかってるのにほんのちょっと距離が空くと、だめで。家まで我慢してみようとか思ったけど、だめで。」



昔幼い頃、部屋を分けようかと言った父親に泣きついて嫌だといったときのそれではない。その違いに気付いてしまえるほど、自分は成長してしまった。気付かなければ良かった。もう誰よりも敬愛している兄に、まっすぐに「大好き」と言うことはできない。

「…どうしよう兄ちゃん。」

兄が兄であることは恨まない。
己の生々しい感情が、ひたすら憎い。



「由太郎。」
いつの間にか距離を縮めていた魁が、由太郎の頭に優しく触れた。
由太郎の肩が大きく震える。
「詳しく聞かせてはくれぬか。」
「嫌だ、やだ、」
「何故」
「兄ちゃん、俺のこと気持ち悪がるよう。俺馬鹿で短慮だから、兄ちゃんが俺のこと嫌っても、俺、きっと我慢できない。」
「それは、期待してもよいのだろうか。」
由太郎の小さな肩に、魁の大きな手が被さる。回された腕に目を白黒させていると、ぐっと強く引かれ、由太郎は魁の胸に凭れる形になった。

「兄ちゃんっ?」
「飛行機雲を見つけた後、いくら待ってもお前が傍に駆け寄ってこないことが不安になった。なにか落ち着かない…いくら待っても不自然な会話でつなごうとしている由太郎のよそよそしさに、さらに煽られた。なにか自分が失策したのではないかと。何か―――気付かれたのではないかと。」

魁の声は掠れている。
それに由太郎の肩は震えた。

「何年も押し殺したよ。」
「兄ちゃん。」
「お前がまっすぐな眼で拙者を好きだと言ってくれるたび、申し訳ない気持ちでいっそ命を絶ってしまいたかった。」
「兄ちゃん、それって。」
「だが、由太郎、期待してもいいのだろうか。」

寂しいと思うのは

何度触れても、どれだけ近くにいても
遺伝子も細胞もまったく同じでも何も



「俺、兄ちゃんが好き。」
「拙者もだ。」




―――本当に?


由太郎は魁の体に腕を回さなかった。
ただひたすら涙でぐちゃぐちゃな自分の顔を何とかしようと覆い隠した
魁はそれが治まるのが待ってから、顔を覗いてやろうと肩に回した手で叩いてあやす。
幸せで消えてしまいそうだ。
この大きな手は自分の慕った男のものだ。


自分はおかしいとおもった
自分は間違っていると思った
好きだから耐えた
同性であり、兄弟であり、非生産で非常識なこの想いは優しい相手を傷つけるだけだと
どうせ結ばれぬ運命なら、血の繋がったこの関係を、誰よりも長く傍にいれることを感謝しようと
あふれそうな想いに重くふたをした。


魁の手は優しく由太郎の頬を拭った。
由太郎は一瞬だけ眼が合うと、照れくさそうに俯いた。
魁は声なく笑い、それに由太郎はやっと動いた腕で魁の腰を強く強く抱きしめることで答えた。

さて重りを押しのけて溢れ出したこれを、どうして伝えよう







「兄ちゃんが隣にいないだけで、寂しいと思うのは間違ってる?」
「ならば、拙者も間違っている。」


早泣きの鈴虫の声の中、手を繋いで、より一層近くに寄り添った兄弟は
互いを見ずにふと微笑んで、帰路を歩いた。




何度触れても、どれだけ近くにいても
遺伝子も細胞もまったく同じでも何も関係ない。
好きな人が傍にいて、立ち向かえないことなどなにがあるものか。

天の川に似た飛行機雲が、由太郎の笑顔とともに晴れた。




永恋―ながこい









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