お昼の攻防




困ったなあと思った。
昼飯用に食ったパンの包み袋をくしゃくしゃに握りしめながら、素知らぬ顔でのんびりと本を読む男の横顔をじっと見る。色素の薄い髪のメガネのちょっと優男風のその男は部活の後輩で、部活では自分の奥さん役だ。付き合いの長いよく気の利く奥さんはじろじろと絡む視線にまったく気にせず手の中の文庫を変わらないスピードで読み続けていた。そのほうが助かっている。




秋丸と付き合いだしたのは2日前。
「俺、あの、先輩が好きなんです。」
明かり照らされた部室の中で、顔は真っ赤で、今すでに爆発下限界に達しましたといわんばかりに張りつめた表情でそう告白されて、俺は弾けるように顔が熱くなった。すぐ頭がパニックになって何なになんでと状況をまるのみするのが精一杯で、秋丸だって俺と同じ色になっていたけどきっと俺の数倍は冷静だったに違いない。
どーゆう意味で?とか確認するのも忘れて何を言うべきか選ぶのは脳で処理できなかった。
「俺も」
と口が勝手に言った。その言った直後で、え嘘そうなの俺って。と慌てふためいて口を覆ったけど、本能は脳より心を知っているということなのか、言った後で気づかされるとは。結局それ以外何もうまいことは言えなかった。そんな俺を宥めも賺したりもせず、本当に嬉しそうに微笑んで「じゃあひとつ、よろしくおねがいします。」と手を差し出した。俺はまだ頭の中はぐちゃぐちゃで、ただうんといってその手をとった。それが2日前。


翌朝どんな顔で秋丸にあえばいーんだよとベッドの上でゴロゴロのたうち回っていた俺の煩悶をあざ笑うかのように、至ってふつうに先輩。として接してきたのだから拍子抜けした。そりゃあそうか。部活が忙しくて、あのとき以来特になにも変わったことがないように思える。なんだか気持ちが放置というよりは浮遊して覚束ない。実感がわかないと言うことだろうか?だからこうして屋上で二人きりで、一緒に昼ご飯食べましょうと言われると焦ってどうしていいか分からなくなるから、個人のことに集中して自分に視線がこないととてもたすかる。じっくりと相手の顔が見ることができる。もちろん秋丸はそれを見越して読みかけの文庫を持ってきたのだ。でなければ人を誘っておいて読書なんてするもんか。このエセ紳士が。
目をぎゅっとしぼめると秋丸がこっちを見た。しまった睨んでるように見られたかも


「あ、何読んでんの?」
「夏目漱石です。」
わあ振るんじゃなかった。
「…へえ」
興味もわかないような偉人の名前にちょっと腰が引けて、そっか、おもしろいかと上の空なことを聞いた。秋丸は微笑んだまま薄い文庫本を片手でぺらっとめくってみせた。
「はい、とくにこれは主人公が榛名に似てて。ジジ臭いって言われるけど俺こーゆうちょっと古い本とかのが好きなんです。言葉遣いとかとくに面白いんですよ。ほらここ、くいしんぼうって、食い心棒ってなってる。旧読み。」
「へえー。」
主人公が榛名に似ていちゃおもしろくもなさそうなもんだけど、秋丸が言うには活字になると面白いんだそうだ。秋丸の指がたどる文字に目を走らせながら、秋丸のこういうところが好きだなあと思った。自分の趣味の説明なんかも、訪ねた誰に対してプライドを傷つけずに興味を持たせるように聞かせてくれる。こーゆーのってちょっと擦れてて、生意気じゃない程度に大人だ。余裕があってまず何を言うべきか一度考えることとか、直情的な榛名やパニック体質な俺には真似できない。
「(適わないなあ…)」
俺がぼんやりすることに飽きたときには本をさりげなく閉じてることだとか。
困ったなあと思った。年上としての威厳も余裕もなにもぶっとびそうな男とつきあうことになってしまったんだ。

「秋丸。」
「はい。」
「指握っていい?」
「は、え、手?」
「ゆ・び」

もたもた彷徨う手を無理矢理引っ張り、悔しいことに自分より広いその掌を開く。長い指を改めてまじまじ見るとそれだけで恥ずかしくなった。本の活字を辿っていた中指と人差し指の間接をきゅっと握ると手の筋がぴくっと張った。

「先輩?」
「うん。特に意味はないけど。」

二本の指の第一関節をやわやわと握って、触れたところがじんわり同じ体温だった。それだけで胸がぎゅっと苦しくなるくらい嬉しくて、あー俺って恋してんじゃん?2日かけてようやく理解したかんじ。困ったなあ俺ってもしかして恋愛ステータスでいえばレベル1からスタート?なんだかもう年上とかそういう問題じゃないなとか考えていたら、上から「あの」と声が降ってきた。
顔を上げるとあのときくらい赤い顔した秋丸が居た。

「これちょっと恥ずかしくないですか。」
「…そーいうこと思ってんだ。」
秋丸が首を傾げた。
「だって秋丸のことよくわかんねえし。」
「俺も先輩のことよくわかってませんけど。」
「じゃーなに考えてる?」
「えーと今は、なんで恥ずかしがり屋なのにこうゆうことは躊躇わずできるんだろうとか。おれもその触り方したいなあとか。」
「わーっ」

その言葉に急速に恥ずかしくなって、指を離すと今度は秋丸の手が俺の指を捕まえた。人差し指と中指を持ち上げるように優しく触れる。振り払えないことはなかったけど恥ずかしさにどうにも体が軋んで固まってしまった。爪を指の腹で擦るようにされて肌が粟だった。

「…なに考えてる?」
「嬉しいなあって。」
そんなに大事に触られちゃ離せない。

困ったなあと思った。どうして後輩ってのはときどきこんな正直な可愛いさを出すかなあ。
脳と第一関節の神経が直結したみたいに温かい、このいち後輩に俺はずっと適わない。まったくこれからも勝てる気がしない。こんなに面目なくて、どうしてこんなに嬉しいんだろう。指をつなぐだけでこんなにドキドキして、これじゃあ体まで随分遠い。ああ

「何考えてる。」
「これからもこうゆうこと遠慮しなくていいんですか?」



困ったなあと思った。
このインテリでエセ紳士の生意気な後輩が随分好きだ。









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