閑話:秋丸恭平


かわったものはなんだ?──────知りたくない!





丸くなったと云うか、雰囲気が違う。優しい?柔らかい?それにぴったり合うような言葉を知っていたかもしれないけど、出すのが怖くて無意識にさけている。例えば、構ってほしくて自分の体重も忘れて先輩の背中に凭れ掛かったり、あの豪腕で裾を引っ張ってユニフォームの縫い合わせをほつれさせたりしたり、何かしら行き過ぎた子供くさい迷惑をかけたときに、もちろん先輩は怒って叱るんだけど、すぐに許すように笑う。その笑顔が困っているようには見えなくて、むしろこの馬鹿な後輩が可愛くて仕方がないという風に微笑むから、そのときにあのどうにも変な雰囲気が立ちこめるんだ。榛名においては、その笑顔を見るたびこれ以上の幸せはないといった感じだ。
端から見れば仲の良すぎる先輩後輩。その雰囲気に気づく人は一人もいない。ただ自分には、のどの奥になにか小さなデキモノが出来たみたいに、すっかり飲み込んでしまえない気持ち悪さが引っかかって残る。それがなんなのか知らなくていいことだし、触れてはいけないことだとも思った。自分がその都度何かに触れようとすると、ピコーン、ピコーンと胸で警鐘が鳴るのだ。余計なことに首つっこむな考えるなと頭がいう。
だからあえて目を瞑ったり無理矢理飲みこんだり、無心に過ごすことでやりすごしていた。仲がいいのは、微笑ましいことだし、問題はないと思った。うんなにも。なにも。ピコーン。











秋の入り、風さえ吹かなければ非常に快適な気温で、太陽はほどよく遠く暖かい。ああ平和って今日のことを言うのかと秋丸は上機嫌でお気に入りの文庫と弁当、パックの烏龍をもって屋上の扉を開けた。
「ん?」
その戸を開けてすぐ裏の壁に珍しい来客の影。あれ、屋上に人なんて珍しい。それも、坊主の。

「んん?」

そろそろとスニーカーの裏で足音を消すようにしながら近づくと、その坊主頭はうつらうつらと舟こいでいて、覗き込まないと顔がわからない。だけど頭が一回かくりと落ちて、ゆるゆると首を動かしたとき、見知ったあのくだんの先輩が寝ぼけながら面を上げた。
「加具山先輩。」
名前を呼ばれて、指先だけがぴく、と反応したけどまた加具山はこくりこくりと夢の世界へ入っていった。するとすぐまた首がかっくんと落ちて、思わず秋丸は吹き出した。

ああ先輩もこの日差しを狙ってきたな、とよく照らされた頬をみた。ぽかぽかに光って暖かそうだ。食べ終わったらしい弁当の包みのナフキンが膝の上に置かれた手の間に挟まってパタパタとはためいていた。


秋丸はかがんで、覗き込むようにしげしげと加具山の顔を見た。
(顔の丸みが随分消えたな。)
加具山は童顔で目を閉じるとますます幼く見えたが、ここ最近で痩せたとは違うすっきりした面持ちに変わった。線の細さもだんだんと正しい筋肉がつき体は非常に理想的な成長を進んでいる。それから、今は閉じられた目が、とても強いひかりを宿すようになった、と秋丸は思っていた。
榛名とは違う強い目のひかり。固執、執着といったほうが合うかもしれない類だがそれだってすばらしく強い。秋丸は加具山の瞬くような成長をキャッチャーマスク越しの目の裏でシャッターを切るように見てきた。人が成長する姿をみるのはこれが二度目だ。
(言わずもがな榛名の影響だ。誰かが変えた榛名が誰かを変えるんだ。)
だからそのシャッターメモリーの一枚一枚には必ず榛名の影がチラチラ入って、加具山先輩の視線の先もいつも、ん、…あれ?
───ピコーン、ピコーン、ピコーン!




「っぶわ!」
そのとき突然ものすごく冷えた風がビュル、と大きく突き上げて吹いた。
あんまりにも冷たくて秋丸は腕を抱きしめ、加具山も顔をきゅっと顰めたがまだ起きる気配はない。だが膝の上にあったナフキンは勢いよくその指先からさらわれてしまった
「あ、危なっ」
秋丸は慌てて手を伸ばし風に巻き上げられる寸前で何とか拾った。風がやむのを待って、もう飛ばされないように弁当箱に巻き付けて置いといてあげようと、ぐらぐら傾く加具山の隣に腰掛け膝の上の弁当箱をそうっと抜き取ろうと手を伸ばした。

そのとき加具山の肩の先が少しぴくり、と反応した。



「先輩、起き──…」
ゆら、ゆら、ずるり。



秋丸はナフキンと弁当箱を持ったまま固まった。動けない。右肩に全神経がイってしまって動けない。加具山の頭は寝るのに最適な位置に肩枕があるのを感知したのか秋丸が座ったとたんにずるっと落ちるようにもたれ掛かった。肩に頭が掛かって、最適な場所を探るように少しゴロゴロと頭を転がしてとたんに止まる。加具山は寝心地よさそうに深い眠りに入りかけたが、秋丸はただひたすら冷や汗を流し心の底から起きてくれと願った。が、加具山には届かずそのまま気持ちよさそうな寝息を立てるだけ。これは──警鐘っ
「セ、ンパイ、先輩、起きてくださいっ」
慌てて思わず声が裏返り、もたれ掛かってきた左肩を強めに揺すると加具山の瞼が不機嫌そうに揺れてうつろな目が見えた。まだ覚醒しきってない目はひかりも無く、二三瞬きしてようやく機能したみたいに、ゆっくり首を回して秋丸の顔をじっと見た。眠そうな顔が一瞬確認したように据える。そして、言った。


「…あ、間違えた。」


…………。な ん で す と?
「だ、れ、と」
ですか、とは声が震えて最後まで出きらなかった。そこまで言ってああ馬鹿なんで聞いたんだと激しく後悔した。驚きすぎて声の中心がスコンと抜け落ちたようだ。驚きすぎて、心臓も声帯も縮れて正常に機能しない。返答が怖い、どうかそのまま何も言わず眠ってくださいと必死で願った。聞くのが怖い聞いちゃいけないとは思っても、頭にはさっきからチラチラ見え隠れしてる影がもう警鐘に隠れきらないぐらいぎちぎちにはみだしまくってる。ウザい、なんでお前が出てくんだよっ!

ピコーン、ピコーン、ピコーン、ピコーン!
ピコーン、ピコーン、ピコーン、ピコーン!

加具山はあふ、とのんきにあくび一つ噛み殺して、それからまだまどろみの中にいるはずなのに、涙の浮いた目はあの強いひかりがチカチカ光っている。その目でニッ、と微笑んだ。
「秘密。」
加具山はまたうとうとと瞼を閉じ始め、船をこぐ頃には秋丸がすっかり骨から脱力して冷えたコンクリに頭から倒れ込んでいた。もう役立たずの警鐘はならない。



「加具山さ…あー秋丸テメー人がトイレ行ってる隙になにしてんだコラア!」
その5秒後屋上の扉から派手な登場をしてくれた(秋丸にとって名前も出したくない)男に、もう力の抜けきった体にあんまりに酷い文句と足蹴を受けたけど、復讐する余力もなく。スヤスヤ眠り続ける加具山にあんまりだ酷い、俺は何にも知りたくなかったとただ恨んで涙を流した。これで、ああこれで、
さらば日常の生活と平穏なヴィジョン。


秋口の静かな屋上に、不幸な青年の体と、回線の壊れたピコピコアラームだけが残った。







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