ライフスタイル




喧嘩をした──?とりあえず、榛名を怒らせた。加具山は驚きを隠せないでいた。

おつきあい始めて早一月、ここまで強く出られるのも、強引に壁に押し寄せられることも、もしかしたら怒らせたことも初めてだった。
「どうしてあんなことしたんですか。」
さっきから驚きで言葉もでない加具山に榛名はひたすら理由や言い訳を求めて責め続けている。その顔は必死で、怒っている、というよりは、まるで核ボタンを押してしまったくらいの重大さを懇々と教え込まれているようだった。野球部室には二人以外の誰も居残っておらず加具山がこの事態を教えて欲しくて右を見ても左を見てもやはり誰もいない。榛名の顔は真剣だ。それなのに加具山が視線を彷徨わせたものだから、何か良くないことを想像して、顔を蒼白にさせている。加具山は焦った。そして後悔した。手を払うんじゃなかった。


 意図的に部室に最後まで残った二人に、特有の空気が流れるのは時間の問題だった。蝸牛が這うような時間をかけた着替えを全部すませてから、榛名は久しぶりに大好きな先輩と親密に過ごせるだろう時間を待ちかまえてワクワクしていた。とはいっても明日は朝から部活もあって、ずっとダラダラと過ごせるというわけでもないし、場所が場所だけに、そうだなあキスをたくさんして、寂しいですなんて言ってちょっと甘えて、大通りに出るまでこっそり手をつないで帰ろうとささやかながら幸せな恋人らしい時間を志望していた。
加具山の着替えが済み奇麗にたたまれた最後の衣類が鞄に詰め込まれファスナーが閉めあがったとき、榛名はそっと加具山の手を握った。自分の元に引き寄せるでもなく、ただ本当に触れたいだけで加具山の指と指の間に隙間なく自分の指を絡めた。榛名は少し照れながらも幸せそうににっこりと微笑んだ。加具山はなんの気もなくその手をゆっくり払った。
別に虫の居所が悪いわけでもなく、手を離したのには本当に悪気はなかった。そう他意はなかった。だから榛名が思っているような大切な思いも無かった。自分にとって手をつなぐことはたいしたことではなかったからだ。手を繋ぐくらいなら、それほど近くにいるのだから、抱きしめ合えばもっと相手を感じあえるではないか。加具山はそう思って榛名に近寄ろうとして手を離しただけなのだ。それが、こんな事態になろうとは。

「いや、本当に悪気があったんじゃないんだ。お前がそこまで手を繋ぐことが好きってのもしらなかったしさ。手ぇ繋ぐならぎゅってすればいいのに、って思って。」
「手を繋ぐのが好き、嫌いの問題じゃねーんすよ!恋人同士が手を繋ぐっていうのは、そりゃあもう、神社ではじめに手を洗うあれと同じくらい神聖なもので重要な物で」
神社にいったらきちんと手を洗うのか。加具山はそんなあさってな感想を思った。
「キスより、抱っこより、大好きな人に触れるならまず手!」

繰り返すが榛名が部活動以外で、つまり恋人としての時間を共有し合っているときに加具山を責めたりするのは初めてだった。惚れた弱みともいうのか、榛名は加具山が好きで好きで、恋人としての面ではできるかぎり優しく接していた。無理にそうしようとしてなったものではなく、加具山の前ではいつだって二、三本骨を抜いてしまったような精神状態になったのだ。つまりはベタ惚れで、照れたり弱くなったりすることが多々あっても、叱ったりすることはまずない。これが性格に問題のある相手ならいくらの榛名でも早々に喧嘩でもしただろうが、榛名曰く恋人は優しくて道徳を踏みにじることを嫌う、芯が背筋にきっちり通った姿勢の良い自慢の先輩だ。その背筋に芯を入れたのは自分だということは忘れている。
加具山は何気なく払った手を、榛名にとっては重要なことでとても傷つけたと後悔していたが、心の半分はこの必死になって手を繋ぐことの重大さを語っている後輩が可愛くて可愛くて仕方がなかった。いけない、いけない、榛名は真剣だ、ちゃんと理解して反省しないと、でも。
ふと頬筋に入れた力を抜いてしまえばヘラリと笑ってしまいそうだった。
女の子を冷たくあしらっても飄々と生きている男が、裏の顔はこれだぞ。手を振り払われて酷くショックを受けてる。二度としないと約束してくださいとこんな必死の形相で頼み込んでいる。だからこいつが可愛いんだ。同時に加具山は、自分がそれだけ大切に思われていることに、嬉しさと愛しさが溢れていた。できればもう少しだけこの必死の顔が見たい、と思った。悪いとは思いつつも、愛についてそのスタイルについて必死になって訴えるこの顔を、もう少し。
加具山は頬筋がつりそうなくらい力を入れて、なるべく表情を変えずに言った。
「手ぐらいでなんだよ。じゃあ俺は抱きしめて榛名を体中で感じたいと思っているのに、それは間違いなのか?お前は手だけで満足なんだな?そうかわかったよ。」
加具山はいかにもがっかりしたようにため息をついた。
その瞬間スチールのロッカーがメコ、ギ、と不細工な音を立ててへこんだ。
「まんぞくなわけありません!!」
もしかしたら榛名の手の形にへこんでしまうんじゃないかとおもったロッカーの、哀れな持ち主の名前を確認する間もなく、榛名の顔はさらに寄ってもはや鼻と額がくっついてしまうところだった。整った顔、といっても差し支えのない加具山が好きな榛名の顔が、いまやどの方向に説明すればいいのかぐちゃぐちゃになって、苦しそうな大きな目に加具山の顔が映った。
「でも、まずは、というか、順序というか、っすね!俺も、そりゃあ手だけより加具山さんがいいです、抱っこしたい。ぎゅーうーって隙間なくやりたい。加具山さんがいいです。加具山さん。」
鼻先がくっついてしまえるほど近くで名前を連呼される。加具山はたまらない、と思った。息づかいや体温が伝わるたび皮膚の上をえもいわれぬ感覚が走りゾクゾクする。ああ愛しい。惜しみなく体も心も全開で好きだと伝えてくる榛名が、可愛くって仕方ない。耐えきれず加具山は榛名の方に腕を回し飛びかかるように強く深く口づけた。榛名の口から出損なった空気が変な声になって漏れた。もう、可愛い、可愛い、好きだ、大好き。角度をずらして何度もキスした。短い舌で榛名の口内を擽るように遊んでいたが、やがて榛名が挽回、とでもいわんばかりに舌を絡めあっというまに加具山の口内に移り、舌といわず歯の裏歯茎頬の裏上あご至る所好き放題に強くかき回していった。
「んっんっんぁっ」
加具山の口内はあっというまに二人分の唾液でいっぱいになった。榛名がそれに気づいて普段ならもう解放するはずだったが、思ったよりも熱く滾った榛名の欲は今加具山の口内に注ぎ込んでしまいたくて溜まらなかった。加具山はやめてほしくなくて舌を絡ませた。物の言えない口でなんども好き、好きだと唱えた。
「んんっ、…加具山、さん。」
「ん…。」
抱え込んだ加具山の顔を榛名は大切そうな眼差しで見た。加具山の口内は唾液がたっぷりと含まれていて、それを飲み込むと唇がてかてかと光った。唇を吸い過ぎたせいで赤く腫れ上がってもいた。榛名は下半身に響きそうなぞくりとした快感を感じた。健全そうな坊主の球児が、赤く腫らした唇と頬で、昼間には皆無な色気が強烈に沸いている。堪らなくなって舌を固くしてその先で下唇をなぞると、加具山にまた這うような快感が襲った。
「んっ…ゴメン榛名。解ったよ。さっきわざと解らないフリした。お前可愛くって。ごめんな。」
「…なんすか、もう。」
榛名は少しだけ怒ったようにみせて、ちいさく加具山にキスをした。
「榛名、可愛い、好き。もうお前のこと食べたい。」
加具山は榛名の丸ごとをそのまんまの意味で、つまり丸めて飲み込んでしまいたかった。食べちゃいたいくらい可愛い、とか、目に入れても痛くない、とはよくいったものだ。目に入れても食べてもそれがどんな結果になって強大な愛が芽生えるというわけでもないのだが、どうしようもなくそういう気持ちにさせる。
しかし榛名は意味を履き違えていて、顔を赤くして加具山の意図を計りかねていた。
「えーと…それは…あの。」
加具山は2秒遅れてその発言の含む隠語に気がついた。いわゆるこのキスの延長上。加具山は一瞬泣きそうな顔を見せたが、すぐにふと笑って榛名の額を撫でた。
「馬鹿、なに想像してんだ助平。」
「え、あ、だ、だって。それに、それじゃ逆っしょ」
「逆じゃないよ、俺本当お前のこと食べたいと思ったもん。」
「はあ、でも俺も食べられるなら加具山さん食べたいっす。」
今度は加具山が小さく榛名にキスをした。もう今日は嵐だ。大盤振舞だ。愛の特価バーゲンセール。愛情が溢れて止まらなくて、もう今日はうんと榛名を甘やかしてやりたい、望む分だけしてやりたい。でもちょっと、この先は、セックスは、まだ無理だなあと思った。榛名はもうそんなことは忘れているようで、キスを繰り返すのに夢中になっていた。───いつかできるんだろうか、この俺に。
加具山は榛名の鼻先にキスをした。
「大好き。」
「俺も。」
「榛名にとって手を繋ぐことは、神社にいって手を清めることと同じなんだな。うんわかった覚えた。俺にとってはあんまりたいしたことじゃなかったけど、お前がそんなに大切に思って触れるなら、俺も大事に思う。」
榛名は嬉しそうに微笑んで頷いた。加具山に回した腕をもういちどきつく締めてキスした。耳元で加具山さん大好き、ほんと好き、と惜しみなく愛の言葉を繰り返す。加具山は榛名を抱きかえして、うん俺も、と答えた。参った榛名を甘やかすつもりで居たのに、好きだと云われた分好きといってやりたかったのにこれじゃちょっと追いつけそうもない。
大きくてがっちりとした肩に埋められて榛名の髪がさらさらとあたる。こんな怜悧な大男がなんとも不器用で可愛い恋のスタイルを持っていると知ると、加具山の中にあるこれ以上まさか入りきらないだろうと思っていた榛名への愛情が、不思議なことにまたぐんぐんと増量していくのだ。
「好きが爆発したらどうしよう。」
「そのときは食べて良いですか?」
「残すなよ。」
だが榛名にでもこの想いは食べきれないだろう、と思った。








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