自分が呼吸する世界はいつだって規則正しい。
灰色の夜が明けて灰色の空が広がって白い太陽がのぼってまた沈む、それだけ。
そんな世界がもう20年以上も続いて
だのに今日は昨日と違う。少しぶれた、そんな感じに
僕の世界に本当に大した事の無い障害が少し
昨日よりもずっと、今日はどんと重く厚い。今日は

世界でいちばんやさしい君がはじめてひとをころした日










雨は昼間より若干弱くなった。
イタリアで降る雨は湿気が少なく過ごしやすい。
だのに今自分の家は非常に息苦しくてたまらない。
ただ一人突然押し掛けてきた、一言も喋らず座り込んだまま目も合わせない侵入者。

なんでうちに。でかくて邪魔。殺すよ。
いつもなら確実に3秒でカタづけた。
それをしなかったのは、まだ僅かに残っていた人間臭い感情だったのかもしれない。
エスプレッソから消えたぬくもり



僕は追い出さないからって気を使って話しかけたりまして慰めたりするほど甘くはなく、そして彼もそれを求めていないように見えた。だからいいのかなんてそんな問題ではないやはりこの過ごしにくい空気は不快極まりない。なんとかできるものなら一掃したい。彼が一方的に喋って絡んで僕が一瞥して相手を傷つけるためだけの言葉を言う。このスタンスが崩れただけで随分とやりにくい、どうしていいのかわからない。だけど自惚れとかそういう類いでは絶対にないけどここに居なくてはいけない気はする。


背中は動かない。




疲労しきった身体からは生臭い匂いもない。
優しいヤマモトタケシは汚れを落としてから来たのだ。
見せるまいと。
血で汚れまくった僕に
僕にそれを見せるまいと。
(…悲壮。)


息苦しいのは胸が詰まっているからかもしれない。
「───…。」




自分は、できれば、ああ、見たくなかった。出来る事なら避けてやりたかった。
僕が百万年生きたって二度とこんなこと思う事はないだろうし、永遠に口に出す事はない。他人を甘やかすなんて、だけど僕は本当は彼をその面でうんと甘やかしてやりたかった甘い事ばっかり言ってれば良いと思ったから。よごれていくことなくいつまでも変わらない笑顔で持って僕をあの大きな湖のような心で包んでもらいたかった僕が言うどんな我侭も笑顔で聞いていてほしかった。
そう結局は僕は自分が中心なんだけど。

「ねえ。」

返事はない。なにナマイキだよねえ。しかし困った彼を呼ぶ名称がわからない。彼を一度も名前で読んだ事がない。
仕方なく僕は広い丸められた背中にそっと額をくっつける。

「ねえ。」
「…。」
広い背中はすこし身じろきした。声なく返事した。


「死なないで よ。」


うずくまった背中に腕を乗せて顔を伏せて耳を澄ませた。
僕のいいたいことわかる?なにしたって生き延びて。絶対に口にする事は無いけども、言葉の後ろにこれ以上ない気持ちを隠して。温くて、生きているおとがする。世界でいちばんやさしい音が。くっつけていた耳を擦ると広い背中がゆっくりと起き上がった。

「なん」

彼はこれ以上無いくらいに脅えた目をしていた。いつものあの大きくてうざく光る星がその目に映ってない。大きな身体は何も言わず僕に覆い被さり、僕は受け止める準備をしていなかったものでとっさに後ろ手をついた。でかい頭が僕の肩に重くのしかかる。力ない腕がなんとか僕の身体に巻き付いてる。───ああ生きていける


「重い、ウザい。」
「…ばりちゃん、あったけえ。」
「うざいよ。」
「あったけえのな。」
「…ホントバカ」





世界でいちばんやさしいきみに告ぐ!

甘い甘い最後まで甘さを捨てられないんだったらいっそ染まる前にこの世界からとっととでていきゃあいい迷う事は無い、君には魚がお似合いさ。馬鹿で無鉄砲で馬鹿で純粋で馬鹿で弱い人間なんか役に立たないの解るだろ!さあ荷物を畳んでコロシノ道具みんな置いて捨てて国へ帰れ!簡単だよ二ヶ月前の巻き戻しだ。今からなら職歴に傷もつきませんチャンス逃げるなら今、今、今!魚の頭を切り落とすより簡単に思えなきゃダメなんですここで死んじゃうんです世界でいちばんバカな君よ 僕は 君に


「一緒に生きようなー」

「…。」
「ひばりー」
「どいてよ。」


君に生きてほしいんです


でかい背中を叩くふりしてぎゅうぎゅう押し付けた。1ミリでも顔を上げないで。自分の顔、今自分でもどんな不細工になってるか予想がつかない。だってこんな気持ちってない。
どうか、どうか

その貴重な心を全部は汚してしまわないで
広い湖に小石を一個一個投げ込まれるように全部受け入れて
当然の顔して笑いながら傍に居て、生意気だと僕に殴られてください
僕は君に生きてほしい 出来れば一生そのままの君で
どうかぼくの本音も弱音も汲み取って笑って
そう結局は、僕が中心なんだよ


「しばらくどかないでいい?」
僕は返事はしなかった。彼は返事を求めてなかった。


外でパラつく雨が耳に優しい音楽に聞こえる。
昨日はあんなに晴れた。一昨日は曇った。明日の天気は知らない。
僕の世界に欲しいと思う情報が少し
僕の世界に動く動いていくものが少し
昨日とは ちがう
君も
きみもちがうと思えるだろう
世界の自転をようやく感じるのだ




「明日は、ミラノの俺の家まで帰ろう。」
「は?」
「メシ食おう。俺、パスタ以外も作れるようになった。」
「所帯じみてきたね。」
「風呂いっしょにはいらね?」
「死んでもイヤ」
「手え繋いで寝よう。」
「…。」
「ナターレには休みとって日本に帰ろう」

「新年も日本で。」

「一緒に年越そう」

「イヤミったらしくイタリア語でお参りして」

「ほいでまた」

「ミラノに帰って」

「最後には」

「二人でいれるような」

「な、どう?」

「…ひばり…」







カレンダーがチラチラと端をめくっている。Aprile 21.
初めて世界が動いた、この日を忘れない。


世界でいちばんやさしい君がはじめてひとをころした日




















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