シニカル・ビジュアライゼーション 「キスしてみない。沙羅。」 瞬間自分は、酔っているのかと訊ねた。すんなりと返答できたが、内心酷く焦っている。彼───ハルナが酒に強いことも、そのくせ酒嫌いで祝いの席でもないと口をつけないことを知っているから。 「相手、間違えてんぞ。」 その返答に一瞬キョンと目を開き、すぐに目を細めてやわらかく笑った。いつもの不適な笑みでなくて、照れたような困ったような優しい苦笑。その笑顔は"わかってるよ"と言っているようで、少し安心した。 「キスって場所に寄っては挨拶みたいなもんなんだよ?」 「ここじゃ挨拶じゃねえんだろ。」 ただでさえ恋愛話に縁遠い自分には、口付け、の意味ですら生恥ずかしくむず痒くなり、不作法に頭をぼりぼりと掻いた。 「沙羅可愛い。」 「やめろ、キショイ。」 「言われ慣れてないの?」 「誰に言われんだよ!」 「ハイハイ。知らないでいてあげるね。」 「・・・っ。」 ペースにのまれる。 一段と強く頭を掻き、無理矢理話題を反らすよう怒鳴った。 「だー、うっせえ!何だよ、喧嘩でもしたのか!?」 「んー?フフフ、なわけないじゃーん。もーラーブラブ。」 「ならなんだっつーんだよ!言っとくが灼きもち妬かせるための道具にはなんねーぞ!」 「沙羅、ごめんごめん。怒鳴んないで。」 上がりきった息と肩をしずめるように肩に手を添えられ、立ち上がった椅子にもう一度座るよう促された。上がった肩でそのまま腕を組み椅子ではなく簡素なベットにどかりと座り込んだ。大した作りになっていないそれが悲鳴をあげる。 「冗談だよ。でもちょっと本気。そだね、ちょっと当たってるかなあ。」 「おいおい、冗談じゃねえぞ。」 「昔の人は名言を残したもんだと思うよ。愛にはね、重さがあるんだ。」 愛、という慣れない単語に耳の後ろがざわつくような感覚。ハルナは椅子を引き寄せ、俺の顔目前で喋りはじめた。 「妬きもちを妬いて欲しいなんて本気で思ってるわけじゃないよ。いくらなんでももういい年なんだし、そんな少女趣味気持ち悪い。ただね、こう。」 ハルナの手が空を切った。 「彼は掴めなさすぎるんだ。」 「はあ。」 手を振りながら喋り続けるハルナの話はこうだ。「想い」に色柄形質量重量が加わればいいのにと。想いを伝えることだって簡単にできるし、その人が大切であればあるほど、想いは両手一杯になって重量オーバーしちゃうから、浮気なんてできないのに。そうきっと自分には鮮やかで美しい、惑星一個分の体積を超えた「想い」の固まりがあるに違いないと。そうしてそれを奇麗にラッピングして、あの人に渡して、黄雅ごとつぶれちゃえばいいのになあ。潰れた黄雅も全部ひっくるめて抱いて、そしたら僕の想いは止まることを知らないだろうから、やがて僕も飲まれて圧死するんだよ。 茉莉花茶の茶器に手を伸ばそうとした手が、止まった。 「ハル・・・。」 「ねえキスしようか。沙羅。」 白く大きな手がゆっくりゆっくりと自分に迫ってきた。吸い込まれそうなほどの大きな瞳には自分の間抜けな顔が映っている。口が半分開いていて、だけど何も言うこと出来ない。ハルナの吐息がかかるほど距離がなくなったとき、やっとぎゅっと目を閉じることができた。 真っ暗な世界で、その瞬間を覚悟したが。 「冗談だよ。」 響いたのは茶器がぶつかる軽快な音。目前にあったハルナの目は、湯気だった茉莉花茶に代わっていた。白く隔たれた湯気の向こうのハルナの顔はよく見えない。でもきっと、見ない方がいい。俺は受け取った茶にずっと視線を落としていた。 「ハルナ。」 「うん。」 「キスしてやろうか?」 蒸らし時間を間違えた茉莉花茶は、酷く苦かった。 「冗談。」 |
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