進化論02






3か月が過ぎた。相変わらずあいつとの関係は平行線で、ちっとも友情なんて芽生えなかったけれどもそれでよかった。猫の名前と、俺が差し入れに来ると喉を鳴らして傍まで寄ってくるほど懐いてくれただけで十分。アンバーは気高くて美しい猫だったけれども、アイツよりは随分愛想を知ってる。可愛い奴だ。そいつの為に缶詰を食堂からガメてくるのにも慣れた。今日はツナと、肉なんて(どっちも)食わねえだろうけどコンビーフ。それとアンバーの好物のオイルサーディン。気まぐれに、昼食のデザートにでた水蜜桃。甘いものが好きなタマには見えないけれど、食わなかったら自分が食べればいいし。白い布にそれを全部包んで、「最近缶詰の減りが早いわ」と不審がっている調理師の前をそーっと通り過ぎる。裏小屋の前までくると、珍しくあいつは外にいた。アンバーはまだ来ていないようだ。
「よお、講習以外に天の岩戸が開くなんて珍しいじゃねえか。」
「…。」
相変わらず話しかけても返事が返ってくる事は少なかったが、今日はそれに何か違和感を感じた。いつもの、睨むような目つきが随分と弱い。
「おい、体調でも悪いのかよ。何うずくまって…。」
「…ァンバーが」
「え」
いつもは釣り上がっている目つきが随分と弱いと感じたのは、ハルナの目尻が下がっていたからだ。初めて見るその表情にも驚嘆したけれども、なんだかハルナの口からそれ以上に驚くことが零れそうで呼吸が、止まった。
「え?」

 * * *

此処で一番上等な客だった。媚びる事無い毅然とした態度と、白い体に浮かぶ美しい琥珀の目が好きで、来訪をいつも楽しみにしていた。お節介の毛布二つとアンバーで、隙間風吹く裏小屋の冬を乗り切った。常に手入れをしていた白い肢体はどこにもない。暖かかった温もりはどんどんと冷えていく。こんな真っ赤な冷たい猫知らない。来訪が遅かった。気まぐれな猫だったので心配することはなかった。虫干ししていた本を取り込もうと外に出てみれば、見慣れた猫が横たわっていた。背側は真っ赤に染まっていたけれども腹部はもっと酷く、人間のそれよりもっともっとちっちゃな内臓が半分以上飛び出ていて砕けた骨が混じっていた。車だろうか。それとも。
「アンバー?」
呼びかけても返事がないことは判っていた。
「遅いじゃないか。」
脇腹を抱えると座らない首がもたげて、べちゃりと音を立てて血と臓器が崩れ落ちた。アンバーが、崩れてしまう。持ち上げるのをやめてその場にそっと戻しうずくまった。埋めてやらないと。足が動かない。もしかして膝が震えているのかもしれない。どうしようかな。後ろから馴れ馴れしい声が聞こえて来た。全く毎日毎日鬱とおしい。アンバーが目的なんだろ、もう居なくなったから来なくていいよ。そう言ってやろうとして口を開いた。
「ァンバーが」
居なくなったからもう来るなよ。そう続くはずだったのに何故か言葉がでない、詰まる。代わりに目に入ったのはあいつの頭の悪そうな顔。なにかに怯えるような、酷く驚いてるような、そんな人間的な。
なんだったか、もう遠く忘れてしまったような感情。ああ
悲しいのかな。

 * * *

アンバーの体はできるだけ奇麗にしてから、缶詰を持って来た布で包んで春に一番立派に咲く桜の下に埋めた。爪が割れて土が指に入っていたかったけれども、俺とハルナは一切口を開く事は無かった。オイルサーディンとツナ缶を供えて、汚れた手を合わせて祈った。埋めている途中でじんわりと悲しみが込み上げて来て、こいつの前と言う事も忘れてボロボロと泣き出してしまった。感情の起伏は激しい方だと思っていたけど、こんなに大きな涙を流したのは両親の事故以来だった。
「ひっく、うぅっ。」
「何、それ?」
「うっせえ、なんでもねえよ。」
いつもどおりの気の効いた皮肉だとおもっていた。恥ずかしくなって力いっぱい顔を拭ってもまだまだ涙は溢れてくる。鼻をすすると怪訝な顔をしたハルナが今までにないくらい近付いていた。
「…なんだよ。」
「なんで泣いてんの。」
「うるせえな、冷血無比なお前には関係ねえよ。」
「うわ、四字熟語なんて使ってる。」
「喧嘩うってんのかテメエ。」
「ねえ、」
なんで泣いてんの?と繰り返した。その瞬間初めてハルナが別のものに見えた。簡単に言えば、人間以外に見えたんだ。初めて見た、頭の悪い顔。なんでそうなるのか本当に理解できない顔だった。なんでって言われても、楽しければ笑うし悲しければ涙は出るし、なんでって言われても、そんなの、どうやって歩いてるのと聞かれてるようなもので。なんでって言われても、そんなの、なんで
「なんで判らないんだ?」
険しかった表情は、きょとんと間の抜けた顔になっていた。多分俺も。互いの言葉が理解出来ない異邦人が初めて挨拶しあったときのような。涙は止まったけれども、その軌跡をハルナの指がくすぐったくゆっくりと辿っていった。その夜、俺たちは初めて話をした。



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