進化論03






「1年前に、親が亡くなったんだ。事故、それから一月くらいは親戚の家をたらい回しにされて来た。泣かない日はなかったっけ。そっからこの施設に放り込まれたんだけど、慣れない一週間はやっぱり泣いてばっかりだった。」
ハルナは俯きながら、それでも途中に相づちを打って真剣に聞いていた。過去を掘り返すのは悲しくなったし恥ずかしくもあったけどなんとなく、こいつに聞かせなくちゃいけない気がしていた。悲しかった事、構って欲しくてお節介焼きになったこと、ハルナの才能を妬んだ事、友達ができて嬉しかった事。人間のあって当たり前だと思っていた感情を、手当りしだいに説明していった。ハルナは新鮮だとばかりに真剣に聞いてくれた。
「お前が握手してくれなかったときは悲しかった。ここに来て友達ができるかな、って期待した矢先だったから、否定されるのが怖かったんだ。」
「…悲しかった?」
「うん。」
ハルナはようやく顔を上げて俺と目を合わせた。嬉しくなって微笑むと、反してハルナは眉を寄せた。
「判らないって顔してる。」
「判らない。」
ハルナの頬をつねるように引っ張った。驚いたハルナが下手に抵抗して、二人して倒れこんだ。つねりあげた頬を擦るといつもの、あの目つきでもって俺を睨んだ。
「痛い!」
「頬の筋肉固まってるんじゃないかと思って、ストレッチ。」
「はっ?」
大きなお世話だ、と起き上がりながら怒鳴るハルナの声量は今までで一番大きかった。紅潮した頬と、見下すこととは少し違う目つきは、ほんの少し人間らしいそれになっていた。
「ハルナ、今すげえ人間っぽい!」
「人間なんだけど?」
「じゃ、血が通ってるっぽい。」
「…沙羅、俺生きてるんだけど。」
「ああ!俺の事初めて沙羅って呼んだ!」
「…はあ!?」
話がかみ合ってないじゃないかと怒鳴っても、確かに、迂闊にも初めて俺の名を呼んだ失態にどんどんと頬に赤みが差して俺は嬉しくなった。ニコニコする俺にうんざりしたのかふいと顔を反らし今度はだんまりを決め込んだけれど、その開いた背中の隙を伺って背中合わせに凭れた。
「…重い。」
「お前って案外馬鹿なのな。」
「沙羅に言われたくないんだけど。」
「ハルナさあ、アンバーが死んでどう思った?」
「…判んない。でもいつもどおりに話しかけてしまった気がする。なんかすごく…ぽっかりと空虚になってて、あんまり覚えてないし思い出したくないんだ。」
「それじゃあ駄目なんだきっと。俺さ、ハルナの事少ーしだけ判ってきた。ハルナはきっと忘れているだけで、元からナイわけじゃないんだ。今まで必死で生きてくるのに精いっぱいだったから、切れるものは切らなくちゃなんなくって、たまたま今はオフにしてるだけなんだって。」
「何が?」
「色々、要るもの。こうやって電気切るみたいに、パチンと。」
電気スタンドのコードを引っ張る真似をして、ハルナがさらにいぶかしい顔をした。
「人によってその明かりが広かったりちっさかったりして、それでも元々見えて当然のもの。なんだけどハルナは電源を切って手探りで生きてきたから、こうやって突然突き出されると見えないんだ。」
「沙羅には見えるもの?」
「俺は100万ワットだ。」
「…。」
眉間の皺はとれていて、なんだかすっきりした呆抜け顔。何重にも重なったフィルターが全部払えて、輪郭がはっきりと浮かび上がっていた。自分とさほど変わらない大きさの、冷たい手をぎゅっと握ってももう睨まれることはなかった。


 * * *


「少しずつでいいんだ。1ワットから少しずつ、電源を入れてみるんだ。」
手を握ったまま沙羅は、顔を横に反らした。その視線の先には桜。アンバーの墓。闇のなかに缶詰が鈍く光っていた。アンバーが一番好きだったのはツナ。どんなに空腹でも、こちらから薦めてからじゃないと餌を口にすることは無かったのに、ツナ缶を持つとソワソワと落ち着きの無い動きをした。仕舞って、あげないフリをすると機嫌を損ねて一緒に寝てくれない。寒い冬は彼女がいないと辛かった。寝相があんまり良くなくて、よく寝ぼけて爪を立てられた。気位が高いくせに世渡り上手で、手入れをかかさない美しい毛並と月を映したような琥珀の瞳。彼女の来訪が此処で一番の楽しみだった。もう居ない。どこにも居ない。窓を僅かに開けて待っていても、ミルクを用意しても、もう二度と。
「ハルナ…っ」
驚く沙羅の顔が間抜けで、だけどよく表情の変わる奴だと思った。貶してやろうかと思ったけれど声が上手く出ない。心拍数があがって呼吸が出来ない。目頭がジンと熱くて、頬も。これが泣くと言う事?裾で頬を拭うとびしゃりとぬれて、後から後から涙が溢れ出た。
「ハルナ、今何考えてる?」
「アンバーの事…でも判らない。なんか胸がモヤモヤして、すっごく苦しい。」
「それだ。それが、悲しいって事だ。」
懐かしいような気がする。ずうっと昔に、こんな思いをして、何度も涙を拭ったかもしれない。何が原因で泣いていたのか覚えていないけど、その後温かいものが降り注いだ気がしてピタリと泣き止んだんだっけ。
「悲しくて、泣く。それから…。」
自分と変わらない大きさの沙羅の手が僕の頭を強く撫でた。小さいくせに温かくて、その温もりが自分だけの為に向けられた気がした。
「誰かが慰める。これが1セットだ。」
真似できないほど清々しく笑いながら、僕が泣く止むまでずっとずっと撫で続けていた。今のこの優しさも温もりも、今は全て自分の上だけに降り注いでるのだと、懐かしくて胸がいっぱいで息が詰まって苦しかった。言わなければいけない事がある。この目の前の優しいお節介に。灯してくれた事、見つけてくれた事、手を引いてくれた事、思い出させてくれた事…アンバーと凍死せずにすんだこと。
「ありがとう。」

心から。




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